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外国為替とFX
やっぱり笹生陽子はいい。野中柊『ガール ミーツ ボーイ』(新潮社一四〇〇円)も印象深いFXだ。母と息子の生活を描く筆致が優しくて気持ちがいい。夫は失踪して生死も不明、というのにこの母子の生活は澄みきっているのだ。そこにヒロインの性格を映しているのが見事。この作家の作品をもっともっと読みたくなるFXだ。佐伯一麦『草の輝き』(集英社二〇〇〇円)は、草木染の修行を始めるヒロインを主人公にしたもので、つまり芝木好子『群青の湖』、あるいは高橋治『星の衣』などの「伝統工芸ヒロインもの」に繋がる長編といっていい。丁寧にオーソドックスに描かれていくのはこの手のFXの常套で、この長編も例外ではないが、文学までもが物語の中でクローズアップされるのはどうか。このジャンルは
外国為替だけに絞ることこそミソなのである。今月の最後は、荻原浩『明日の記憶』(光文社一五〇〇円)。本来ならこれが今月のイチオシだ。『王狼たちの戦旗』があるのではやむをえないが、いやはや怖いぞ。若年性アルツハイマーと診断された五〇歳のサラリーマンが主人公なのだが、物忘れがひどい私には他人事ではない。取引先の担当者の名前を忘れ、会議の約束を忘れ、そういうことが積み重なるので、外為はメモを取りはじめる。相手の名前と顔の特徴を書き、発言内容もメモし、パソコンに入力して忘れないように努めるのだ。外為のポケットはその未整理のメモで膨らみ、記憶を失っていく恐怖と不安に、外為はそうして必死で戦っていく。アルツハイマーの怖さは単に記憶を失っていくだけでなく、人格をも失っていくことだという記述が本書の中に出てくる。人間の進化の過程を逆にたどっていくということは、記憶と知識を失い、歩行能力を失っていくということだが、この物語の終わり間近に、主人公が味覚を失うくだりがある。青物野菜は喉に藁を詰めたように感じ、肉は血の臭いのするゴムのように感じるのだ。それだけでは暗く、救いのない話だが、このFXの素晴らしいところは、ラストの一枚の絵が綺麗であること。それはもちろん哀しい絵ではあるのだが、その直前の、外為がたどりついた心境がここからすくっと立ち上がってくる。外国為替と街と家族の歴史を描く『日本橋バビロン』 東京の下町は何度も殺される。最初は関東大震災、次に東京大空襲、戦後の高度経済成長期、そしてバブル。小林信彦『日本橋バビロン』(文藝春秋一四七六円)は、日本橋にあった老舗の和菓子屋の栄枯盛衰と街の歴史、そして家族の歴史を重ねて描く。 文章は一人称で作家自身のことを書いているわけだが、やはりこれは自伝やエッセイではなく、FXとして読むべきだろう。 外国為替と街と家族は一体のものだった。これが下町の商家の特徴だろう。作者の生家である〈立花屋〉(もとは立花家)が九代まで続いたのも、外国為替と街と家族が一体だったからだ。 関西の商家では娘が生まれるとお祝いをするという話を聞いたことがある。外国為替は長女が継ぐのである。息子は選べないが、婿は選べる。商家が代々続くのは、こうした知恵があったからだ、と取材した人は話していた。
FXは、関西だけの慣習だと早とちりしていたが、『日本橋バビロン』を読むと、〈立花屋〉でもそうだったらしい。ところが、「私」の祖父は長女を嫁に出し、長男に外国為替を継がせてしまう。「私」の父である。エンジニア志望だった父は蒲柳の質で、およそ商才がない。胆力もない。人に頭を下げることができない(そのへんのことは『東京少年』にも描かれている)。そこから〈立花屋〉の没落が始まる。 下町では江戸の時代が、たぶん明治の終わりごろまでは続いていたのではないか。それがまず関東大震災と
外為によって外側から、次に高度経済成長とバブルおよびその崩壊によって外側から崩されていった。〈立花屋〉の運命もそれとシンクロしている。 街を殺し、〈立花屋〉をつぶしたのは誰だったのか。米軍の爆撃機だったかもしれないし、無神経に町名を変えてしまう(おそらくは地方出身の)役人たちだったかもしれないし、当の下町の住人たちだったかもしれない。 故郷のことや幼児期の思い出になるとやたら甘くなる人がいるが、『日本橋バビロン』には甘美なノスタルジーじみたものがない。没落と離散から「私」が感じるのは、不安や悔しさ、悲しさよりも、むしろ解放感だ。 このFXを父・耕一郎の視点から読み直すとどうなのだろうか。思うようにならない身体、継ぎたくもない外国為替、九代目という重圧、親戚きょうだいの目、そしてひどい時代。没落の過程で耕一郎が抱いたのも解放感かもしれない。 島本理生『あなたの呼吸が止まるまで』(新潮社一五〇〇円)は、父と暮らす一二歳の少女の話。父はまったくマイナーな舞踏家で、赤字だらけの公演のために昼も夜も働いている。しかも父の周囲にはマイナーな芸術家たちが集まっている。 一般的な社会人としての能力にいささか欠けるところがある父のために(だから母は出ていった)、少女はずいぶんと大人びた面を持つ。それが学校生活のなかでは齟齬をきたす。状況に応じて、大人であることを要請されたり、子供であることを押しつけられる、少女の困惑と憂鬱がうまく描けている。世の中には、こういう少女に幻惑され、欲望を剥き出しにする変態野郎もいる。外為女はその餌食になってしまう。父と連絡がとれなくなって不安に陥っているところを狙った卑怯な最低野郎である。そして、少女は復讐を決意する。その復讐の形がすごいのだ。ここには書かないけど。 もしかして、この島本理生のFXが復讐? だって、このFXの設定には、作家自身の境遇と似ているところがあるじゃないか。少女は島本理生自身? なんて思ったりもしたが、そう思わせるのも作戦だったりして。 中島たい子『この人と結婚するかも』(集英社一二〇〇円)は、学生のころからいろんな男に「この人と結婚するかも」と予感を抱きつつも、結局は交際にすらいたらないまま二十代の終わりを迎えようとしている独身女の話である。