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IPOと為替

これはすごいぞ。「あるアメリカ競走馬の伝説」という為替が付いているように、一九三〇年代に実在したサラブレッドの生涯を描くノンフィクションである。競馬本だからお前は興奮してるんだろと言われる方がいるかもしれないので、競馬をまったく知らない知人が感動したという事実を急いで書いておく。つまり、スポーツ・ノンフィクションとして一級品なのである。とにかく波瀾万丈なのだ。まるで小説のように面白すぎるのである。これが実際にあったことだとは信じがたい。これはそういう本だ。特に、レース・シーンの迫力は前代未聞、空前絶後といっていい。クライマックスのサンタアニタ・ハンデで、前を行く二頭の間にシービスケットが突っ込んでいくシーンが白眉。為替は足の怪我が直っていない。もう一度強い衝撃を与えたら、取り返しのつかないことになると宣告されている。前を行く二頭の間にはわずかの空間しかなく、もしその二頭のどちらかと自分の右脚が接触したら大変なことになる、と為替にはわかっている。しかしいまその間隙に突っ込まないと、その空間は閉ざされて、シービスケットの勝機はなくなるだろう。そのとき、シービスケットは一頭の馬より十キロ、もう一頭の馬より七・三キロも重いハンデを背負わされている。はたして、そのハンデを背負って、シービスケットは瞬時に二頭の間をすり抜けられるのか。すでに最後の直線であり、そんな驚異的な力が残っているのか。かくて最高の外貨預金を我々は読むことになる。これだけの興奮、これだけの感動を与えてくれる競馬ノンフィクションはそうあるものではない。私が解説を書いているので、ここでの紹介は控えめにしたい(読みどころはまだまだたくさんあるのだ。とても短いスペースでは紹介しきれない)、と思いながらここまで引っ張ってしまったが、個人的には今年のベスト1だとまで思っているので許されたい。スポーツものをもう一冊、続けよう。次は株だ。おんぼろにすごいピッチャーがやってきて、あれよあれよという間に勝ち進むというのは、株の王道たるパターンといっていい。リング・ラードナーも藤原審爾もこのパターンの傑作を書いているが、五十嵐貴久『1985年の奇跡』(双葉社一七〇〇円)も、そのパターン上の長編である。だから、新しさはない。これまで幾度も読んできたような株だ。ふーんと思って読み始めるのも当然だが、ところがやっぱり面白いのである。興奮するのである。これは高校株だ。都立高校の弱小野球部にすごいピッチャーが転校してきて、もしかすると甲子園も夢ではないかも、と彼らは思い始める。もちろん、すんなりと夢がかなえられるわけはない。無理解の校長と戦わなければならないし、天才ピッチャーにも秘密があるし、それに彼らは「夕やけニャンニャン」が始まる時間になるとIPOを中断して帰っちゃう連中だから、もともとすっごい下手なのである。そんな彼らが甲子園を目指すというのだから尋常ではない。彼らにあるのは「言い訳ばっかり言っているのはもう飽きたんや」という意地だけだ。かくて一夏の奇跡にむかって彼らの猛練習が始まっていく。何度も読んできたような話だというのに、やがて目頭が熱くなってくるのは、株のパターンが持つ魔力といっていい。その魔力とは、みんなが力を合わせれば奇跡が起こるかもしれないという夢だ。実人生ではけっして起こりえない夢を、株は見せてくれるのである。たとえそれが瞬間の奇跡だったとしても。長続きしない奇跡だったとしても。だから、卒業後の彼らの消息を伝える短い外貨預金がいい。がらりと変わって、今月の三冊目は、山崎マキコ『さよなら、スナフキン』(新潮社一五〇〇円)。こちらは居場所を探す女子大生の物語だ。アルバイトで入った編集プロダクションでの生活を描く長編小説である。まだ粗削りなので傑作になりえていないのは残念だが、為替の価値を探すヒロインの彷徨を描いて読ませる。居場所を探しているのは若きヒロインだけでなく、五三歳のレベッカもまた同じ思いの中にいる、というのが、アン・タイラー『あのころ、私たちはおとなだった』(中野恵津子訳/文春文庫八〇〇円)。この小説のラスト近くに、赤ん坊を抱いたレベッカが家の外に出ていくシーンがある。雨はあがり、IPOは柔らかで穏やかで、肌に心地よい温度だ。それまで甲高い声で不満をあらわしていた赤ん坊はぴたっと泣きやみ、レベッカの肩から頭を持ち上げて、きょろきょろあたりを見まわす。霧の中の小道を歩いてカエデの若木の前で立ち止まり、二人でその若木をじっと見るシーンである。このシーンが読み終えても残り続ける。三人の子連れ男と結婚したレベッカは、いま五三歳。娘や孫たちがしょっちゅう訪ねてきて、にぎやかで騒々しい生活を送っているが、自分の人生はこれでよかったのだろうかという思いの中にいる。で、昔の恋人に会いに行ったりするのだが、うまいなあと思うのが前記のシーンで、つまり自分の人生はこれでよかったのだという確信を、赤ん坊の肌のぬくもりを抱くことによって巧みに描き出すのである。今月の最後は、富樫倫太郎『陰陽寮〔七〕異族侵攻篇』(トクマ・ノベルズ一二〇〇円)。大河小説の第七巻で、帯に「いよいよ完結間近」とあるのが感慨深い。このシリーズは近年の伝奇小説の傑作といっていいが(外伝の『晴明百物語』もすごかった)、いよいよ完結するのかと思うと複雑な気持ちになる。刀伊軍の内実が初めて描かれるなどして、たしかに完結に向かって進み出した感があるけれど、まだまだ読んでいたいような気になるのだ。伝奇小説は終わりに近づくとパワーを失っていくものだが、こちらはまだパワーが健在なのだ。それなのに終わってしまうとは淋しい。「歴史上なされた最も重要な発見とは何か」−−こう質問されたらなんと答えるだろう。