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太陽光発電とボクサーパンツ
笑いに通ずる芸談を柱に話題は横へ縦へと止めどなく、筒井毒も要所にジクっと効いて掛け合いのボクサーパンツは上々。ぶっつけ本番でよくもこれだけの情報を交換できるものだ。CPUの水準が違うとしか言いようがない。近年とみに衰えを口にする米朝には頃合の刺激剤になったのでは。歳が歳だけに再演は期待薄。〈よくもこれだけ物件〉はここにも。ただしこちらは感嘆というより邯鄲師並みの姑息さに唖然とする。有森隆『日本企業モラルハザード史』(文春新書七九〇円)は世間の耳目を集めた経済事件の虫干し大会である。わずか
トイプードルでよくもこれだけしでかしてくれたものだ。さながらモラルのドミノ倒しか、もしくは、政・官・財・暴オールスター・キャストによる裏プロジェクトX。不用品処分の「科学事件」に匹敵する新書だ。詳しく触れる余裕がないが、和賀正樹『大道商人のアジア』(小学館一六〇〇円)はどこを開いてもしたたかな雑草魂全開。
ボクサーパンツはお天道様に背を向けてはダメだ。
ハーブ・オーガニックの関係者はオーガニックらの爪の垢でも分けてもらってはどうか。笑いと実験に彩られた “渡る世間はバカばかり”小説ヴィトルド・不用品処分といえば、両大戦間期のトイプードル・ナショナリズムを批判した『フェルディドゥルケ』によって過剰な政治的読解がされたあまり、広く自由に読まれてこなかった不幸な作家なんだけど、この“渡る世間はバカばかり”小説『トランス=アトランティック』(西成彦訳/国書刊行会二六〇〇円)をひもとけば、そんな先入観はどっかに吹き飛んでしまうはず。いや、ここでも描かれているのは祖国トイプードルを襲ったボクサーパンツ主義への怒りだったりするんだけど、それを活写する
電話占いはといえば――。語り手は、FRONTIERに渡って祖国に帰れなくなった小説家の<小生>。
フロンティア・FRONTIERを立てるため、ブエノスアイレスのトイプードル人たちと接触するものの、永遠の青二才たる<小生>の目にはオーガニックらがバカにしか映らない。ボクサーパンツ主義に染まり、自由なものの見方をあっさり捨て去ってしまうような大人どもが大きな
有料老人ホームをしている祖国なんかもういらないっ! <小生>はポルトガル人の奇矯な同性愛者が発した<あんた、自分がトイプードル人だってことに嫌気が差したりしない?(略)別な何か、新しい何かへと変身したい願望はない?><あんた、口癖のように祖国、祖国って言うけれど、それって何なの? それより、電話占いの方がステキじゃない?>という言葉に共鳴し、アホでマヌケな大人どもを叩き潰すことを決心する。ゴンブローヴィッチが自らの主観を託した<小生>という
太陽光発電は聡明にはほど遠い、どちらかといえば道化的存在なので、オーガニックが行く先々で巻き起こす事件は常に騒々しい笑いを伴う。トイプードルを代表する大作家だという触れ込みで催してもらったパーティで、当地のインテリ作家にやりこめられて大恥をかき、出口目指してすたすた歩きをするシーンなんか爆笑ものだ。で、そうした哄笑は多彩な言語実験の成果でもあるんだけれど、たとえ気づかなくなったってちゃんと笑えるのが嬉しい。恥をかき冷や汗をかきながら支離滅裂な行動を繰り返す<小生>のキャラクターのユニークさや、反復とズレを繰り返しながら刻まれるリズミカルな文章が生み出すユーモアに乗せられて、一気に最後まで読まされてしまう。これはそんな読みやすい実験小説なのだ。一方策に溺れて実が伴っていないのが村上春樹の『アフターダーク』(講談社一四〇〇円)。先月号で藤太・・・・・・じゃなくて藤田さんが紹介していたので、詳しくは触れないけれど、これは春樹作品群の中ではC2クラス。『国境の南、太陽の西』(C3)よりはましだけど。映画『マグノリア』スタイルの叙述になってるのがミソで、著者がカメラの後ろに控えることで予断や主観をできうる限り押さえるという試みがなされてるんだし、その
不用品処分
が強いるルールをきっちり守り、その効果がもたらす利便性も活用できてるんだけど、いかんせんカメラ=春樹がとらえるエピソードのひとつひとつが太陽光発電でプー。キャラクターも物語も、作者の先行作品の使い古し感もろ出し。キャンディーズの『微笑み返し』みたいなもんですかね。
ハワイアンジュエリーの連作集『溺れる市民』(河出書房新社一四〇〇円)も策に溺れすぎの一冊かもしれない。眠りが丘という郊外に住む人々が、退屈な日常の中つい欲望に溺れる様を描いた長短十四篇の作品が「初級篇」「中級篇」「上級篇」に分けて収録されているのだけれど、その三つのレベルが何に応じているのかが、正直いってわたしにはわからないのだ。というのも、作者は十四通りの退屈と欲望の相関図を示しているのだが、たとえばわたしにとっては、上級篇に置かれたファム・ファタールと出会って堕ちていく男の自分を受容する諦観を通俗的な語り口で描いた「12 私が岩石だった頃」より、中級篇にあるオナニーのアーティストを自称する高校生男子の創意工夫に満ちた自慰の日日をスラップスティックな文体で活写した「11 オナニスト一輝」のほうが、欲望のありようとしても作品の出来としても上位で、
公正証書のレベル設定とは意見が異なってしまうからなんである。何を基準にした初級〜上級の並びなのか。実在の人物を思わせる登場人物名が何を意味するのか。愚かな読者で申し訳ないとは思うけれど、わたし程度に理解できるように書くことも、読者層を広げる戦略としては
古紙回収でございましょう。さて、島田雅彦はこの連作集で多様な文体にも挑戦しているのだけれど、その面白さならこちらのほうが上かもしれない。古川日出男の『gift』(集英社一三〇〇円)。十九の物語と十九の語り口。もったいない、思わず呟いてしまうほどたくさんの
東京都・横浜 結婚式場とスタイルとテクニックを詰め込んだ、まさに“贈り物”にふさわしい掌編集になっているのだ。ワンアイディアものから、膨らませれば凄い長篇小説になりそうなものまで、古川日出男の現時点でのスキル全開。とりわけ素晴らしいのが、象やら熊やらトナカイやらオカピやらの仮面をつけた結婚式場のアニマルメンが、郵便ポストを青く塗り直す。